山井の引退に際し、敬意を表すと共に飽きるほど語られて来たあの件に関する私の考察を1度だけ記します。
山井大介投手が引退を発表された。
20年も現役だったのかと失礼ながら驚きはありました笑
プロ初勝利はテレビで見ていたと思います。
読売戦で初先発初勝利。球速もそこそこあってスライダーが凄く本格派のピッチャーになっていくのかなと思った記憶があります。
ただ故障や安定感が足りなかったりなかなか定着はしませんでした。
フルシーズン一軍にいた年はあまりないことも20年もいたのかと思う印象になったのでしょう(笑)
ただハマったときの山井は誰にも手のつけられない投手でした。
じゃんけん先発と言われた2004年の完封から勢いに乗って日本シリーズまで大活躍したり、
2010年のノーヒットノーラン未遂や、2013のノーヒットノーラン。
そして40歳での完封など、覚えてるだけでも通算62勝の投手とは思えないくらいセンセーショナルな投球をします。
それを支えていたのは宝刀スライダー。
物凄い曲がり方をして右バッターからは逃げ、左バッターのインローに落ちていきました。
ベテランになるとスタイルを変えて曲がりは少し小さくなりましたが、コントロールが纏まるようになっていました。
2012年には中継ぎ抑えに配置され初めてと言っていいシーズン完走で素晴らしい成績。
2014年には先発でフル回転し、最多勝のタイトルも獲得しました。
そんな山井投手で1番語られるのはもちろん2007年の日本シリーズ第5戦です。
この年も山井投手はシーズン後半戦から調子を上げ始め、9月に月間MVPを獲得してポストシーズンに突入しました。
セ・リーグでは初めてのクライマックスシリーズが始まった年で、中日はリーグ優勝を惜しくも逃し2位でクライマックスに臨み、阪神、読売を圧倒して5連勝で日本シリーズに2年連続で進みます。
この頃は予告先発がありません。好調が伝えられていた山井はこの読売戦のあたりから第2ステージ初戦に来ると予想され、左バッターを並べた読売打線に対し、落合監督は小笠原孝を起用し物の見事に成功して倒していくわけなのですが、日本シリーズに入っても山井は一向に投げず、不思議に思うファンもいました。
そんな中、遂に出番が回ってきたのは王手をかけた第5戦でした。結果的には軽い右肩痛があったということでここまで登板がなかったようなのですが、登板すると全く日ハム打線を寄せつけないピッチング。
このシリーズ通して日ハム打線をしっかり抑えた谷繁の組み立ても素晴らしかったのでしょうが、それ以上にスライダーもキレキレ。荒木のファインプレーなどもありスイスイと8回まで投げていました。
そんな中ベンチでは頭を抱える自体に。
9回をどうしようと。
ドラゴンズは8回までの継投だけ考えていれば良いチームでした。岩瀬がいるからです。それだけの存在でした。この日も最後を締めるべく当然準備をしています。
しかし、山井も歴史に名を残す偉業を成し遂げようという状況になりました。正直首脳陣は1本ヒット打たれてくれないかなと思ったかもしれません。しかしこの日の山井はそれを許さない完璧な投球でした。
ただ、彼は右手に血豆を作りながら投げていました。絶好調だからこそ体にも負担も掛かっていたのでしょう。もちろん疲れも見えてきてはいました。
森繁和コーチも頭を抱えたでしょう。そんな中山井にどうする?と聞きに言った話を何度もインタビューで見ました。
結果として、山井は降りますと告げそれを森コーチから聞いた落合監督はホッとしたと聞きます。
その後この完全に追い込まれたシュチュエーションで岩瀬は3人で抑えて帰ってくるわけですが、
次の日からワイドショーでも取り上げられて散々に落合監督は叩かれるわけです。
冷徹采配だ、夢を壊すな、つまらない・・・
その後のインタビュー落合監督はあそこで3人で帰ってきた岩瀬を何故賞賛しないのかと常に言っていました。それももちろんそうですし、今でこそあの采配は勝つために正しい決断だと言われますが、あくまでその肯定の理由は采配の面についてだけです。
ただ私はこう落合監督の心の内をこう推察します。
「このチームを支えてきたのは岩瀬だ。当然岩瀬が優勝、日本一を決める最後のマウンドに立たせてやりたい」と。
落合をして「岩瀬で負けたら仕方ない」と言わしめるほどの絶対的ストッパー。しかしストッパーは抑えて当たり前。打たれたら袋叩き。とても厳しいのになかなかヒーローにもなれないこのポジションを、粛々と務めあげてきた岩瀬に胴上げ投手をやらせてあげたいと常々考えていたはずです。
ましてや日本一の胴上げ投手なんて次いつ回ってくるかわからない。(実際これが最初で最後である)
山井を変えるなんてなんて冷徹なんだと言われていましたが、私は落合監督は岩瀬への想いで起用した優しい監督なのではないかと思っています。
このシーズン、もっと言えば落合監督の中日を支えてきたのはやはり岩瀬であると。
だから岩瀬に最後を任せると。
私にとってはそれがこの采配への一番の肯定理由でした。
もちろん采配は勝利のためだけでなくてはなりません。でも勝負にこだわってきた落合監督が、この場面では岩瀬に対する気持ちも考えたのではないかと。
そして岩瀬はそれを勝利の為の最適解であるだけの実績もありましたし、結果で示しました。
落合監督はもう話したくないほど聞かれた話だとは思いますがが、もしお会いするようなことがあれば是非聞いてみたいですね。
そして、当の岩瀬は「そりゃーあんな場面で投げたくなかったですよ」と答えている動画を見ましたが、笑
後から見れば絶対に投げたかったはずです。
絶対的抑えのプライドもあります。あそこで投げるために守護神をやってきたはずです。
投げなければ日本一になっても悔しかったはずです。
岩瀬の苦労が報われて本当に良かったと思っています。
後の2011年、横浜スタジアムで引き分けで優勝を決めるのですが、そのマウンドには浅尾拓也がいました。
私はスタンドで見てましたが、最後を岩瀬に変えるのかどうか気にして見ていました。
この年岩瀬は調子を崩す時期もあり、失敗もありました。逆に浅尾は大車輪の活躍をして(彼がいなければ優勝どころかAクラスも危うかったと思う)イニング跨ぎで奮闘し、ラスト1人を岩瀬に任せるような采配も増えていました。
結果としてこの場面、落合監督は浅尾に託しました。
これはこのシーズンを1番支えてきたのは浅尾だったということなんだと思いました。
山井の話だけではなく長々といろいろ書いてしまいましたが、山井は黄金期に間違いなく貢献した素晴らしいピッチャーでした!
お疲れ様でした。
またコーチとして後輩を育成してまた中日の黄金期を作ってください!!
読んでいただきありがとうございました。